2001年の祖師谷で奮闘していた教室長の話。あの頃の教室と街の景色

こんにちは。世田谷学びの応援団長、サワシマです。

 

今回はカイカ祖師谷教室の歩み、2001年編です。

 

教室長になって1年ほど経ち、ようやく仕事のサイクルが見えてきた頃。

 

生徒さんが何を求めているのか、どうやって応えていくのか、毎日あれこれ悩みながらチャレンジしていた時期でした。

 

特にパソコン教室は変化が早い世界。

 

この頃のサワシマは「タイピングこそ正義」と思い込んでいて、今のタイピング推しは、この時代にしっかり根付いた気がします。

 

 

当時はインターネットもまだ弱々しく、ようやく常時接続が出始めた頃。

 

動画なんて珍しくて、短いニュース動画をパソコンで再生できただけで「すごい時代になったな」と感動していました。

 

保存メディアはフロッピーディスクが主流で、容量は1.44MB。

HDDは2GBとか4GB。

 

今のスマホより小さい世界で、みんな頑張っていたんです。

 

 

英会話教室にも大きな出来事がありました。

 

開校当初の先生が退職し、2代目のアメリカ出身のベル先生が来てくれたのですが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロをきっかけに帰国することに。

 

あの事件は世界中に衝撃を与えましたが、教室にも影響が。

 

 

その後、3代目としてカナダ人のリチャード先生が来てくれました。

この先生はとても明るくて楽しい方で、クラスもいつも良い雰囲気でした。

 

ただ、少しフランス訛りがあったんですね。

 

当時のサワシマは英会話力がほぼゼロだったので気づかなかったのですが、今思えば確かにそんな感じもありました。

 

実はカナダって、英語圏とフランス語圏がはっきり分かれている国のようで、特にケベック州はフランス語が公用語で、街の看板も学校教育もフランス語。彼もケベック州出身でした。

 

だから「フランス語が母語のカナダ人」も普通。

さらに、英語圏のカナダ人でも「フランス語を話せるのはちょっとかっこいい」という感覚がある人も多いそうで、あえてフランス語っぽい発音をする人もいるとか。

 

そう考えると、リチャード先生のフランス訛りも“カナダらしさ”だったのかもしれません。

 

駅前の景色も今とは全然違いました。

祖師ヶ谷大蔵駅はまだ高架化直後で、駅前はT字路。

 

ウルトラマン広場もなく、今カイカ祖師谷教室の前の道路もつながっていませんでした。

あの頃の祖師谷は、どこか素朴で、これから街が育っていく途中という雰囲気でした。

 

そんな中で、教室も少しずつ形になり、生徒さんも増え、教室も成長していった2001年。

振り返ると、すべてが新鮮で、すべてが挑戦の年でした。 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。